「歴史・文化シンポジウム たたら今昔物語 
 〜古代・中世を結ぶ鉄の径〜」
        
主催 岡山県備中県民局 共催 山陽新聞社
平成20年2月16日(土) 午後1:00から4:00
倉敷アイビースクエア フローラルコート
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1)基調講演 「中国地方における古代・中世製鉄の旅」 河瀬正利(広島大学名誉教授)


(日本における鉄の生産 と中国地方の古代・中世製鉄の実情)
・中国では、3000年前(?)に、銑鉄の生産が始まった。
・脱炭技術は、中国から朝鮮に伝わり、日本へは脱炭技術ではなく低温還元(鉄鉱石)の技術となって伝わった。
・製鉄技術の伝わった時期は、弥生時代か、古墳時代の後半かは諸説あり、これから明らかにされるだろう。
・いずれにしても、弥生時代の鉄の需要全部を日本国内の生産では充たせず朝鮮から鉄素材を受け入れていた。

・後に吉備と呼ばれる岡山県、広島県東部、島根県奥出雲地方に広く古墳時代製鉄遺跡が拡がる。
・この頃の製鉄炉は、1mくらいの高さの四角形、あるいは円筒形で原料は鉄鉱石を使っていた(千引カナクロ谷遺跡)。韓国にも同様の遺跡があり(韓国沙村遺跡)、原料は鉄鉱石である。
・古墳時代の中頃に朝鮮の製鉄技術が吉備に伝わってきたと私は考えている。
・製鉄遺跡 「ヤツメウナギ遺構」は、当初何に使われたものか分からなかったが、横口に炭がある事や、掻き出し口に炭があることから現在では炭窯であろうという説が有力。韓国でも南部に同様の遺跡がある。

・製鉄炉の小船は1300度以上の高温を3、4日も維持する必要から水分による温度の低下を防ぐために工夫された構造である。
・鉄を税として納めたのは、吉備地方だけのようだ。(備中では、神代伊勢神宮領、新見庄東寺領)
(以上 TKNメモ)
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2)基調講演 「現代に甦る奥出雲のたたら」        木原明(日刀保たたら村下職)
3)パネルディスカッション 「新たな備中文化圏の創造」 
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展示 


鬼ノ城塾での古代たたら再現の時の炉壁
奥が炉外側で、手前が炉内側


鬼ノ城塾での古代たたら再現の時のケラ(10.5kg)
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(TKN記)
備中地域全体を俯瞰した内容構成には工夫があり楽しく聞くことが出来た。参加者は、200人以上。

当日配布のパンフレット「鉄をめぐるそれぞれの物語 鉄の径」(備中地域広域観光協議会)は力作である。
興味のある方は、見てほしい。

追記(08.4.27)
シンポジウムの報告書が出来ている。岡山県備中県民局のHP参照。


(08.2.21)




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